鬼泪
鬼泪山
※白土作品「鬼泪」より、文字による千葉弁の再現がよい

最高点319mの鬼泪山(きなだやま)は、山頂付近にマザー牧場があることで知られている。

と、今まで思っていたのだが、牧場のサイトには「鹿野山(かのうざん)にあります」と書かれていた(下の画像)。敷地内には鹿野山禅研修所という名の施設があり、実際の鹿野山山頂付近には1960年に牧場と同時に営業オープンした広大なゴルフ場(ザ・鹿野山カントリークラブ)を有している。千葉県にあるのに「東京ディズニーランド」みたいなことだろうか、それとも単にゴルフ場のほうに統一しているだけなのか、どっちにしてもややこしい。

※マザー牧場サイトより

2008年9月のこと、山砂採取事業社が鬼泪山からの1億立方メートルの山砂採取許可を求め、許可は翌月に下りた。これまでも鬼泪山は1989年からの数年間、東京湾アクアラインの海ほたるを造るため、例外的に一部削られている。今回の採取計画は鬼泪山国有林の一部分までかかるとして、大きな反対運動がおきている最中だ。鬼泪山は日本武尊(ヤマトタケル)と戦い、負けた阿久留王(アクルオウ)が涙を流した地という伝説を持つ。千葉県の雇用の問題は深刻だが、だからといってこれからたった50年で伝説の地にある威厳を消し取ってしまっていいとも思えない。

私は毎年弓道の部で埼玉県秩父の「三道大会」に参加するのだが、この試合は秩父神社奉納という名をも冠しており、開会式の始めに宮司と武甲山に向かって一礼をする。秩父セメントを採るために切り崩され小さくみすぼらしくなった神の山に毎年礼する度に、「なんだかなあ」という気分になっている。鬼泪山もこれから同じ運命を辿るのだろうか。

鬼泪山の隣の204mの浅間山(せんげんやま)は9年間(1971年-1980年)をかけて2億立方メートルの山砂採取によって跡形も無く消滅した。このことを白土が作品にしたのが「鬼泪」(1981年)だ。作品の中の「鬼泪山」はその隣の今は無き「浅間山」のことなのである。今思えば、これは予言ともいえるだろうか。また、隣接する鹿野山(379m)の最高点付近にある神野寺という寺からは、1979年に3頭の虎が脱走した(内1頭はすぐに戻る)。この事件も白土は作品「犬狩り」(1980年)に取り入れている。



画像中央右の大きいのがマザー牧場で、複数の棒状のものは全てゴルフ場。右上にも山砂採取場がみえる。