映画関連 |
少年忍者 風のフジ丸 「謎のアラビヤ人形」「まぼろし魔術団」「大猿退治」 |
公開日 : 1964年7月21日(火) / 1965年3月20日(土) / 1965年7月24日(土) |
アニメーション映画。「まんが大行進」のプログラムの一つとして公開された。 テレビアニメーション「少年忍者 風のフジ丸」全65回の内の一部を再編集したもので、第1-3話を再編集した「謎のアラビヤ人形」(53分)、第29-34話を再編集した「まぼろし魔術団」(50分)、第51-52話を再編集した「大猿退治」(44分)の計3本が作られた。 白土作品「忍者旋風」(風魔忍風伝)を原作として使用しているのは「謎のアラビヤ人形」だけだが、「白土三平」のクレジットは「まぼろし魔術団」にも挿入されている。 |
大忍術映画ワタリ |
公開日 : 1966年7月21日(木)
監督 : 船床定男 脚本 : 伊上勝 西村俊介 |
白土との関連
白土作品「ワタリ」(1965年)を元に脚本が書かれている。 |
カラー特撮実写映画。この作品公開後、東映初のカラーテレビ特撮時代劇として続編が作られる予定があったが、映画をみて納得のいかなかった白土が拒否。
急遽横山光輝に原作の依頼がいき、横山は「伊賀の影丸」の連載を終了して「飛騨の赤影」を始める。
これはテレビ放映にタイトルを合わせ途中から「仮面の忍者赤影」になる。
そうして出来上がったカラーテレビ特撮時代劇「仮面の忍者赤影」(放映期間:1967年4月-1968年3月)には、この映画の主人公役だった金子吉延が青影として、四貫目役だった牧冬吉が白影として出演している。「白土三平選集」第1巻(1970年)の月報に、監督の船床定男が寄稿をしており、白土に映画脚本の許可を求めに行った時の様子が書かれている。
台湾で1970年1月に「飛龍王子破群妖」(神童桃太郎/The Magic Sword of Watari)、1970年4月に「桃太郎斬七妖」というオリジナルストーリーによる続編映画が公開されている(文中外部リンク)。主人公の金子吉延以外のキャストは台湾人である。 |
DVD
「大忍術映画ワタリ」(2004年11月21日発売/東映ビデオ) |
忍者武芸帳 |
公開日 : 1967年2月15日(水)
監督 : 大島渚 脚本 : 佐々木守 大島渚 |
白土との関連
白土作品「忍者武芸帳」(1959年)を元に脚本が書かれている。また、白土の生原稿そのものを撮影、映画全編に使用しており、文字通り「白土作品の映像化」だ。よって原稿の線や円の中心のコンパス点、下書きからペンの筆跡の濃淡までを鮮明に確認することが出来る。この映画から、白土は少なくとも作品「忍者武芸帳」においてはホワイトを使った修正・調整を一切行っていなかったということが判る。しかし原稿紛失により描き直された貸本第2巻の原稿部分には、しっかりとホワイトの痕が見える。映画の企画があがった当時、「忍者武芸帳」の原稿は完全には残っていなかった。そのため、原稿紛失分を描き直し、全原稿が完成したところで撮影に入った。撮影は1966年5月までに完了。その撮影した5時間ものフィルムを1時間40分ほどに短縮し、特殊効果を入れるところの拘りに時間がかかったようだ。当初は1966年5月公開の予定であったらしいのだが、約1年遅れての公開となった。この間、1966年8月から1967年1月にかけて小学館から単行本(GC版)が刊行されている。もしかするとこの映画企画が上がらなければ、作品「忍者武芸帳」の復刻は少し違ったものになっていたかもしれない。このように白土三平研究における資料的価値のある映像であり、映画自体「フィルム版複製原画」といえなくもない。 ※映画「忍者武芸帳」より 左は映画のタイトルクレジット。中央が貸本第1巻からの重太郎部分だが、下絵の線がよく見えるのを確認できると思う。右は映画用に描き直されたものであるが、もともと原稿紛失の貸本第2巻部分の場面なので、貸本時のもの、単行本のもの、そしてこの映画のものと3パターンが存在している。描き直し後の撮影段階で、フキダシが邪魔にならないものをと映画用にもう一度描いたのだろう。 ※映画「忍者武芸帳」より 上は3場面とも原稿紛失により描き直された貸本第2巻の部分。縮小画像で判りにくいが、影丸の首元、螢火の目、重太郎の小指横の刀部分などにホワイト修正が見える。横にまっすぐ入っている二本線は、原稿用紙の線である。コマ割は三段組だが、三洋社の原稿用紙自体には四段組用の線も同時に印刷されているので、コマ途中にこの線が薄くみえている。下に当時使用された原稿用紙を載せるが、これは白地にグレーのガイド線、三段組四段組兼用できる。右は加工し線をはっきりさせたもの。 ※三洋社専用A5版原稿用紙 (186×265mm) |
貸本「忍者武芸帳」全17巻完結直後、佐々木守がそれを貸本屋から借り、大島渚に紹介する。それから数年後の1966年4月、2人で推敲を重ねた脚本が完成。この時点の脚本では「蘭丸! われらは遠くから来た そして遠くまで行くんだ」という部分ははぶかれ、一心に働く苔丸と少女の描写で終幕となっていた。直後映画化への着手となる。それまで映画化の企画が色々なところから挙がってはいたが、映画化困難な作品ゆえ実現しなかったようだ。これに対して大島渚が考えついた手法は次のようなものだった。「私が考えついた方法は、白土氏の画そのものをフィルムに撮るという方法である」「こうした方法で映画にしようと考えついたのは、言うまでもなく去年の秋、私が韓国で撮って来たスチル写真をフィルムに撮って「ユンボギの日記」という短篇を製作したからである」「歴史の中で人間は如何に生きるべきかと問うた波乱万丈の大ロマンを、そのテーマにおいて最も正しく、その方法に於て最も鋭く追求しうる者は、私たちと私たちのこの方法以外にないと信じている」。こうして異色映画「忍者武芸帳」は世に出ることとなった。内容的には、影丸の最期の言葉に繋がる場面、影丸が林崎甚助に語る言葉「無益か…フフフ…しかし勝ち負けは問題ではない。要は目的に向かって近付く事だ」が、重太郎に対してのものに変化しているなどあるが、ほぼストーリーをきちんと追ったものになっている。この映画は1967年のキネ旬第10位に入っている。最後に映画公開当時のパンフレット掲載の大島渚監督による文章をDVD「忍者武芸帳」(2000年)から一部孫引きして載せる。
長編フィルム劇画「忍者武芸帳」は先ず何よりも、如何なる素材でも映画にすることができるという果敢なる冒険精神のあらわれである。 如何なる素材でも映画にするということは、とりも直さず常識的に映画化困難または不可能と思われている素材を映画化することを意味する。白土三平の長篇劇画「忍者武芸帳」は発表当時から多くの識者によって注目されながらも、映画は絶対に不可能であるとされて来た作品である。それを敢えてしたところに、芸術的冒険者の光栄がある。 私たちの映画は、私たちの映画を取り巻くさまざまな常識によってがんじがらめになっている。映画を製作する者の常識、批評する者の常識、観る者の常識、それらを取り巻く日本の文化状況、教育、マスコミの常識、そうしたものがおのずから私たちの映画に枠をはめてしまっている。その中でえらばれる映画のテーマもおのずから限定されてしまっている。この枠をとりはらわなければならない。 映画がただ娯楽性のみでなく、芸術性・思想性にも重点を置いていた時代の貴重な作品である。この項目の文章は監督の製作メモや全シナリオ(これと実際の映画との違いは上に記述した)が掲載されている「映画評論」1966年5月号や、佐々木守による撮影技法が掲載されている「月刊漫画ガロ」1966年6月号などをもとに書いた。白土自身この映画を観ていないということが、単行本「白土三平選集」第16巻(1970年)月報の斉藤憐による回想文や、雑誌「キネマ旬報」2013年3月下旬号(No.1632)内のコメントで明らかにされている。 ※「映画評論」1966年5月号(映画出版社)表紙 ※「月刊漫画ガロ」1966年6月号(青林堂)表紙 ※「月刊漫画ガロ」1967年2月号(青林堂)裏表紙 : この広告は1967年3月号も同様 |
DVD
「忍者武芸帳」(2000年9月20日発売/PONY CANYON) ※CDケース型、絶版、ジャケット画像→ 「大島渚DVD-BOX1」(2008年11月29日発売/紀伊國屋書店) ※ボックスセット内 「忍者武芸帳」(2011年6月25日発売/紀伊國屋書店) ※単体での再発売 |
クレオパトラ |
公開日 : 1970年9月15日(火)
監督 : 手塚治虫、山本暎一 脚本 : 里吉しげみ |
白土との関連
カムイがモブキャラクターとして出演。 |
カラーアニメーション映画。開始15分くらいに、シーザーの部下として一度だけカムイが登場する。セリフは「ペルシオンに集まっておりまする」。
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忍風カムイ外伝劇場版 「月日貝」 |
公開日 : 1971年3月20日(土) |
アニメーション映画。テレビアニメーション「忍風カムイ外伝」の内第21-26話を再編集したもの。 |
プラトーン (原題 : PLATOON) |
公開 : 1986年 (日本公開 : 1987年)
監督 : オリバー・ストーン (Oliver Stone) 脚本 : オリバー・ストーン (Oliver Stone) |
白土との関連
この映画のビデオジャケットや宣伝などによく使われる、エリアス軍曹が両手を上げ膝を落とし倒れる有名なシーンは白土作品「ワタリ」(1965年)からヒントを得ている。このことは映画「ワールド・トレード・センター」の宣伝で来日した監督が2006年9月13日の会見で語り、2006年10月5日放送の「めざましテレビ」で紹介された。おそらく「ワタリ」第三部での四貫目が燃やされ倒れいくシーンから採ったのだろう。映画とは、姫丸の最期、集団に追われるシーンもリンクする。「ワタリ」はこの映画ラストの重要な言葉「敵は自分の中にいる」(監督の音声解説では"who the enemy. enemy is in you."と言い直してもいる)というテーマとも重なる。 ※ポスター |
アカデミー賞映画。この監督の他の作品では「JFK」や「7月4日に生まれて」が有名。 |
カムイ外伝 |
公開日 : 2009年9月19日(土)
監督 : 崔洋一 脚本 : 宮藤官九郎 崔洋一 |
白土との関連
白土作品「カムイ外伝第二部」スガルの島(1982年)を元に脚本が書かれている。また、映画冒頭に一部「カムイ伝」作中コマが使用されている。 |
実写映画。 |
DVD
「映画 カムイ外伝 ドキュメント 松山ケンイチ≒カムイ」(2009年9月2日発売/松竹) ※メイキングDVD 「カムイ外伝 プレミアム・エディション」(2010年2月17日発売/松竹) ※特典DVD付き 「カムイ外伝」(2010年2月17日発売/松竹) ※通常版 |
Blu-ray
「カムイ外伝」(2010年2月17日発売/松竹) ※特典DVD付き(DVD「カムイ外伝 プレミアム・エディション」に付属のものと同じ) |
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