カムイ外伝(第一部)
目が不自由


上は1994年に発行された小林よしのり著「ゴーマニズム宣言」第3巻(扶桑社)に収録の第67章「自主規制というファシズム」からのもの(P49)。 この章はその前年に「週刊サンケイ」の後継誌である週刊誌「SPA!」1993年9月8日号に初出掲載されたもので、 翌年の1995年に発行された単行本「ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル」(解放出版社)にも再収録された。 この単行本は当時ベストセラーとなり、これはギャグ漫画なのだが、その後の小林の活動スタイルもあってか、 この記述がステレオタイプ化、まるで事実のことのように思われてきた。 これが「誇張」であることは原本にあたればすぐに分かること(当時の小林もそう思っていただろう)なのだが、インターネットが普及したことで 個々がきちんと調べることなくこの情報を広め、まるで「言葉狩り」を糾弾する根拠のように使われた。 「相手は目が不自由でねえか」というセリフは滑稽で誰もが不自然に感じる。ニュアンスの異なる「目が不自由」と「でねえか」が合わさっているからだ。 さらにこの情報が一人歩きする過程で「これは敵の言ったセリフだ」とかいう尾ひれが付くこともあったようだ。

ここに登場するコマは「カムイ外伝(第一部)」第11話「下人」(1965年12月14日作品)作中のコマを丁寧にトレースしたもので、元はフキダシの中が黒く塗られてはおらず「それに相手は目が不自由じゃないか。」というセリフだった。 下に引用元のものを載せる。



思っているほど違和感を感じないと思う。実際に初めてこの作品に触れたのがこの置換後のものだったとしても、(あえて穿った読み方をしなければ)とくに引っかかることはないように思う。 セリフ改変前のこの作品には「めくら」という単語が3カ所登場していた。下にその置換前と置換後のものを並べてみる。 どちらかというと上で指摘の部分よりは「奴は目が不自由だ。」のほうが「奴」と「目が不自由」のバランス的に違和感があるといえないこともない。「奴は目がみえねえ。」のほうが良かったかもしれない。







小林も細かく原本をさらわず茶化したのだと思うが、実はこの作中にはもともとから「目が不自由」という言葉が出てきている。 村の青年たちがカムイにやさしさを装ってイタズラをする場面だ。わざとらしく丁寧な「目が不自由」という言葉を使っているが、 セリフ改変後は上のように作中の「目が不自由」という言葉が増やされたため、この部分の強調が薄らいでいる。



最後に、この「下人」が収録されている今までの全ての単行本で確認してみた。全て初版本で確認したが、あとの版も初版本と同じである。

下が「それに相手はめくらじゃないか。」のもの。

・1966年12月発行:ゴールデンコミックス「カムイ外伝」第2巻/小学館
・1970年02月発行:現代コミック6「白土三平集」/双葉社
・1972年10月発行:COM名作コミックス「カムイ外伝」(全2冊版)/虫プロ商事
・1973年08月発行:COM名作コミックス「カムイ外伝」(全1冊版)/虫プロ商事
・1976年04月発行:旧小学館文庫「カムイ外伝」第2巻/小学館

下が「それに相手は目が不自由じゃないか。」のもの。

・1983年08月発行:ビッグコミックス「カムイ外伝」第2巻/小学館
・1994年05月発行:小学館叢書「カムイ外伝」第1巻/小学館
・1997年12月発行:小学館文庫「カムイ外伝」第1巻/小学館
・2006年12月発行:ビッグコミックススペシャル「カムイ伝全集[外伝]」第1巻/小学館
・2009年08月発行:My First BIG Special「カムイ外伝」上巻/小学館

旧小学館文庫版は1985年の第29版まで確認したが「めくら」のまま。よってこれは「目が不自由」のビッグコミックス版と同時期にまだ発売されていたことになる。 長くなったが、この部分は「飛礫」作中の言葉狩りほど違和感のあるものではないということを示せたのではないかと思う。