月刊漫画ガロ戻る
概要
1964年から2002年まで刊行されていた青林堂(せいりんどう)発行の月刊誌。通称「ガロ」。 誌名は貸本「忍法秘話」誌上に白土が発表した作品「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」に由来する。 この雑誌は、「カムイ伝」連載のために白土自身の貸本の印税を資金とし、長井勝一の協力で発刊された。 ノンブルは表紙を1頁目、裏表紙を最終頁としている。それに従えば1964年7月24日発売の創刊号は全132頁の130円。 当初は白土の経営する赤目プロの同人誌的な性格の雑誌であり、タイトルロゴは白土が描き、レイアウトのほとんどを白土と弟の鉄二が構成、表紙のレイアウトは報道・解説・評論の週刊誌「朝日ジャーナル」から採っている。 この辺りの経緯はブログ「青林工藝舎の編集部だより」の記事にもある。 創刊号から第4号までは巻頭フルカラー4頁(P3-6)、第5号から「カムイ伝」連載終了後しばらくは二色カラー(黒と赤)8頁(P3-10)。 誌上でのつげ義春への呼びかけ(「つげ義晴・九鬼まこと、両君至急当社に連絡乞う」同誌1965年4月号P168)などを経て、リベラルな作風の漫画家が集い作品を発表した。 白土の原稿料は創刊から約3年間支払われず、つげの原稿料の肩代わりなどもしていた。 同誌1994年1月号によると長井曰く「三平さんは創立者だからね、いくら迷惑かかったってしょうがないと思うけど」 ということで、それを承知の白土は収入二の次で新雑誌及び「カムイ伝」を創めたといえる。 廃刊までにこの雑誌に載った「カムイ伝」以外の白土作品は、全て他誌発表作品の再掲載であった。

ガロに触発された手塚治虫は月刊誌「COM (こむ)」創刊号を1966年末に発売し、「カムイ伝」に対抗した「火の鳥」を連載する。 「月刊漫画ガロ」1992年12月号の長井勝一インタビューによると、 COM発刊の少し前、手塚にCOM創刊の協力を持ちかけられた「少年」編集部の桑田裕は、その雑誌発行のやり方について長井にアドバイスを求めている。 そんな繋がりの中で、桑田がその後「COM」を商標登録する際、「ガロ」も一緒に登録してもらう。 COMは中高生を対象としスタートしたことでポップな側面があるが、白土を主としたガロの場合は水木・つげ作品に代表されるような、影のある作品を生み出す色合いの雑誌となった。 ガロ側はCOMを意識していたわけではなかったが、COM側にはあり、白土・手塚の作家性がそのまま雑誌の「空気」として読者には対比的にみられた。 もちろんCOMはガロのように「原稿料がきちんと支払われない雑誌」というわけにはいかず、1971年末に廃刊(1973年に1冊だけ復刊した)。これは虫プロ商事倒産の要因の一つとなる。 あとになって手塚は回想で「『ガロ』と違うところは売り上げ部数に関係なしといった超然とした態度がとれなかったところですね。『COM』は虫プロ商事の柱だったので、それがダメになった時、ぼくの意志じゃなく営業の方が勝手に『COMコミックス』という風に変えてしまった時にぼく自身嫌気がさしてきましたね」と言い、 長井も「「COM」無くなったのは非常に残念だったな。「COM」からはいい作家達が随分出ましたからねえ。だから「COM」に描いてた人達も皆思ってるだろうけども手塚さんがもっとアニメばかりでなく、まんがの方に力を入れていてくれてたら潰れずにすんだんじゃないかっていう恨み(笑)はありますねぇ」と残念がっている(2人の発言共に「COMIC BOX」1982年10月号P108-109より引用)。

1971年「カムイ伝」の連載終了とともに売上げは衰退の一途を辿る。 だがその後も型破り的な思想は受け継がれ、約30年間その独特な世界観はファンを魅了してきた。1996年1月、編集長の長井が死去。 1997年の内紛によりほぼ全社員が退社する。それがもととなり1997年8月号をもって休刊してしまう。 退社した元社員達は青林工藝舎を創立し、1998年1月に隔月刊誌「アックス」を刊行開始する。 1998年1月、残った社員たちによって「月刊漫画ガロ」は復刊するが、やはり社員数名で続けるのは難しく同年9月号で再び休刊。 2000年1月に再び復刊するが、月刊から隔月刊、季刊、となっていき、2002年12月からインターネットによるオンデマンド販売に移行。 しかしここからは古い漫画の復刻形式となり、もはや名前だけの通称「ガロ」となった。 現在長井の夫人(香田明子)が立ち上げた青林工芸舎(青林工藝舎とは「芸」の字が違う)は古い漫画の復刻本を販売している。 隔月刊誌「アックス」はガロの後継とした作家陣で今も続いているが、「ガロ」「青林堂」の名前はもう消えたに等しい。 ガロは常に長井勝一とともにあり、確実に一つの時代を作り上げた雑誌であった。

※「朝日ジャーナル」1963年10月13日号表紙
1964年9月創刊号


掲載の白土作品は「ざしきわらし」「赤い竹」「陽忍」「くぐつ」。表紙画は「ざしきわらし」をコンセプトにしている。 誌末の「編集室だより」に「3号からは新作書き下ろしの野心大長編を発表の予定です」とあるが、実際には「カムイ伝」の掲載は第4号からとなる。 この「編集室だより」はおそらく長井夫人の香田明子が書いている。 単行本「ガロ曼陀羅」(1991年7月17日発行/TBSブリタニカ)P6で長井が「執筆者が七人以上いないと雑誌と認めてもらえなかった」と創刊当時を振り返るように、 創刊号の執筆者は白土のほかに水木しげる、諏訪栄、内山賢次、李春子、佐藤忠男、影丸とギリギリだった。 しかも最後の「影丸」というのは白土の変名であり、これは東京新聞掲載記事の再掲載だった。「ギリギリ」さえも水増ししていたのである。 白土の再掲載4作品と、水木の短編「不老不死の術」、諏訪栄の連載「海原の剣」第1回目が漫画作品で、内山の連載「動物百話」第1回目(挿絵は諏訪栄)と、李春子(白土夫人)の短編「も吉」(挿絵は白土の妹である岡本颯子)が小説、 あとは佐藤による白土漫画に対する寸評という構成だった。
1964年10月号(第2号)


掲載の白土作品は「傀儡がえし」「無名」「無三四」。表紙画は「無三四」をコンセプトにしている。 第2号の執筆陣は、李春子の代わりに楠勝平の連載「仙丸」第1回目が入った以外は創刊号と同じ。佐藤と影丸のものはそのままここにも再掲載されている。
1964年11月号(第3号)


掲載の白土作品は「スガルの死」「鬼」「妙活」「幻の犬」。表紙画は「スガルの死」をコンセプトにしている。 この表紙画はロマンコミック自選全集「白土三平 スガル」(1978年)の表紙にも使用された。 この号の冒頭に「次号からはじめる作品について」という文章が載る。 第3号にはもうさすがに佐藤と影丸の再掲載はされておらず、代わりにどや一平が加わり、水木が本名武良茂名義でエッセイ「漫画のかき方」を書き始める。
1964年12月号(第4号)


「カムイ伝」連載開始号。以降連載は1971年7月号(第95号)まで全74回続く。 この号から奥付の「制作赤目プロ」表記に並ぶ「編集兼発行人」表記が長井貴久子から長井勝一に変わる。しかし1965年2月号(第6号)まででこの奥付は突然消えている。裏表紙の創刊号以来の表記「編集兼発行人長井貴久子」と矛盾していたからだろうか。 この裏表紙の表記は1965年8月号(第12号)で「編集人長井勝一 発行人長井貴久子」という併記に変わり、1966年6月号(第22号)からやっと「編集兼発行人長井勝一」に落ち着いている。
カムイ伝特集号について


「月刊漫画ガロ」特別号No.1(1967年1月下旬頒布開始):収録「カムイ伝」第1-2回:表紙画は第1回掲載の1964年12月号(第4号)と同じ
「月刊漫画ガロ」特別号No.2(1967年2月20日頒布開始):収録「カムイ伝」第3-4回:表紙画は第4回掲載の1965年3月号(第7号)と同じ
「月刊漫画ガロ」特別号No.3(1967年3月下旬頒布開始):収録「カムイ伝」第5-6回:表紙画は第5回掲載の1965年4月号(第8号)と同じ
「月刊漫画ガロ」特別号No.4(1967年4月下旬頒布開始):収録「カムイ伝」第7-8回:表紙画は第7回掲載の1965年6月号(第10号)と同じ
「月刊漫画ガロ」特別号No.5(1967年5月下旬頒布開始):収録「カムイ伝」第9-10回:表紙画は第10回掲載の1965年9月号(第13号)と同じ
「月刊漫画ガロ」特別号No.6(1967年6月下旬頒布開始):収録「カムイ伝」第11-12回:表紙画は第12回掲載の1965年11月号(第15号)と同じ

「カムイ伝」のみを1冊に2回分ずつ収録し発行、全6冊に第12回までが収録されている。書店売りはされず、青林堂から希望者に各230円で直接頒布された。 1967年4月に小学館から単行本GC「カムイ伝」第1巻が発売されたこともあって、この続刊の刊行はストップした。 巻頭二色カラー8枚で統一されており、巻中に収録のもの(第2・4・6・8・10・12回)は初出掲載時の二色カラーでの収録ではない。 第1回は初出掲載時巻頭フルカラー4枚での掲載だったが、ここでは巻頭二色カラー8枚に変更されている。なぜか全冊表紙画の印刷がぼけている。

上の「特別号No.1」書影は表紙の「カムイ伝 1,2」部分が赤色であるが、ここが黄色で印刷されているものも存在している。 黄色のものの背表紙には月表記の部分にちゃんと数字が入り、赤目プロのロゴも入っているが、赤色のもののほうはそこが空白になっている。 「特別号No.1」はまず1966年11月末発売の1967年1月号誌上に「12月発行」と告知が載るが、翌2月号誌上で「1月発行」と訂正告知、発行された。 「特別号No.2」は1967年3月号誌上に「2月20日発行」と書かれ、ここで「以後毎月一冊ずつ発行の予定」となったようだ。 そして翌4月号誌上には「特別号No.1」発行の遅れを詫びる文章が載っている。 この辺りの出版経緯に「特別号No.1」の異本(書影の赤色のもの)が存在する事情があるように思われる。
復刻版ガロについて
2001年11月、青林堂ネットコミュニケーションズから「月刊漫画ガロ」のオンデマンド印刷受注製作販売が開始された。 第一期として創刊号から1971年12月号(第100号)まで。一冊1700円。 これは元の雑誌をそのままスキャンしたものであり、巻末に復刻情報奥付頁を1枚付け足した内容。 古いものでは、表紙の汚いものや色褪せたものなどの復刻もある。しかし、収録作品の作者の許可を取っていなかった為すぐに販売中止、現在では販売していない。

カラー頁はモノクロになっており、内容部分はそのままスキャンした感じだが、扉頁と登場人物紹介頁のみはスキャンしたものを薄く出力している。 モノクロにすることで赤い部分に書かれていた扉頁の「赤目プロ作品 白土三平」、登場人物紹介頁の「登場人物」などの文字や全体が黒く潰れてしまうのを防ごうとした為だろう。 下の画像は「月刊漫画ガロ」第33号掲載の「カムイ伝」第29回より、左が原本、右が復刻本である。 赤い「カムイ伝」の文字と復刻本の同じ部分、その下の画像「フフフ」の周りの赤い部分と復刻本の同じ部分を見比べてみるとわかり易い。